物事なんでも二者択一で語れたらこれほど楽なことはないのにと思うが、その一方で、二者択一ほど捨てるものが多い選択はないのかもしれない。
助言を受ける側にそれを取捨選択する自由があるのなら、助言をする側にもそれをするかしないかの選択をする自由はあると思う。どこか詭弁であるような気もするが。
関わらないでいるのは関わらないでいようと思うからで、関わっているのは関わろうと思っているからで、もはや自分は邪魔者であることには薄々気付いている。新歓にそれほど積極性を現さないのは、自分が居ることに対する最大限の贖罪である。最低限の、「存…
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