5年経て。

taroさんのコメントに対して。
俺の場合、結局、バレーボールが好き、と最後に言えるってことを自分でわかったことが、すべての終着点であったような気がする。
長い間続けていると、いろんな人がいろんな考え方で携わっていることがわかるし、自分としては気に食わなかったり、尊敬できたり、さまざまに価値判断してしまう。そして、それらすべてが一つの在り様であるという事実。
で、そうなっていろんな他者に触れるとき、やっぱり、自分の曲げられない考え方(その競技を始めたころに形作られた考え方)が何よりも大事で、それを大事にしていきたいと考えられることにすごく幸せだと感じられるのです。自分はバレーボールが好きで、自分の人生が、こう、進んでいく中で、かなり大事な支えというか、自分を成長させてくれるものであったわけで、そういうモノに対して、最大限敬意を払って真摯な気持ちで、接していきたいと。
はっきり言って、部活やってりゃ、合わない人とか絶対いるし、皆が皆、同じ考え方でやってるわけではない。(それが面白いところであったりするわけだが。)そこをうまくやっていこうと思って、そういうものの最大公約数みたいなものを取る必要は全然なくて、競技に対して真摯であり続けさえすれば、何か得るものは絶対あるし、そういう視点に立てば、そうでない人(それが悪いとかそういうことではないけれど)を俯瞰できるような気がする。
最近、BSL回ってると、部活なにやってるの?という話題が、ice breakingで頻用されるんだけど、俺は胸張って「バレーボールやってます」って言える。練習しっかりやってます、トレーニングやってます、試合がんばってます。練習・試合だけじゃなくて、部活としてその前後時間を含め、ちゃんと部活内役割を演じようとしている意味でも。なんかそう言えているのがすごく心地よくて。で、この感情が、1年とか2年のころ、なんかとにかく部活ガンガンやってたころと、どっか似ている感情なような気がするんですよ。自分の行動の中で、無駄に費やしている時間が一つもないというのかな。別に義務感に駆られてる行動なんかない。それは実習にしてもそうだし。今できることを最大限の力でやりきるという、自分のポリシーに反していないからということが大きいのかな。まぁそんな感じです。
まぁ、相変わらず話にまとまりはないけれども、taroさんの『迷い』という言葉が妙に琴線に触れたということですよ。