6年間

月火金、部活というスタイルを6年もやっていると、例えば昨日みたいにふと土曜日に練習場に行くようなことがあって体を動かしていると、まさしく今日は土曜日的な感覚に見舞われて、世間との大きな乖離の中ですごすことになるのだ。それくらいに同じことを6年やり続けるというのは、大きなものなのだと思う。
部活に参画していく上で、「好き」という積極的な「感情の方向性」は、前提でありすべてであろう。部活と何かを天秤にかけ始めるとき、とめどなく崩れていく「継続」への期待は、その「好き」が、もはや天秤にかけるという行為には包含され得ない、すなわち、好きではなくなったと同時に人は、天秤にかけ始めるのだろう。
悲しい哉。