thought

勝負というのは、それを勝負だと捉えて、正面切って全身全霊を掛けて勝ちを取りに行くことなのだと思う。他者を蹴落とすことが自分の本来ではないようだ。

Oさんいわく、

後輩たちが、我々の最期こそをよいものにしようという気持ちを見せてくれないのは、やはり彼らに我々を魅力的たらしめることが出来なかったからなのだね、といわれて、同時にため息をついた。

人生はいろいろつながっていて、さまざまなところで感じた「失敗感」をきちんと評価し、それを生かせなくては、失敗は次の失敗を生み出してしまうのかもしれない。

ぶっちゃけごっちんの紅白が三羽一絡げによるものであることは相当不満だったりはするけれども、きっとごっつぁんはすっげぇ楽しそうに、それこそこちら側のそういう憂いをまったく忘れさせてくれるくらいにハジケてくれるはずで、そういうのを見ると、そん…

人間、堕落しようと思えばいくらでも堕落できようものだが、それを自分なりの法則で歯止めをかけて自らを律することができるというのが、それができていないことの表出として得られる、もっとも鋭敏な「自意識」の指標となるのだろう。

昔は良かったね、というやつ、死刑。なら、多くのやつの命はない、か。今と昔を比較する程に、今と未来を比較してみると、結構楽しい。

最近しみじみ思うのが、容量とか要領とかで自分の人生って決まるんだなって思う。要領を磨いて容量を増やして、CPUも上げて、そういう努力を学生時代にしておくことって、強ち無駄ではないな、と。そういう意味では自らをよく知り、自らを磨くというのは、そ…

批判的姿勢が望ましいとは思わないが、批判的になることをやめるべきだとは思わない。しかし、かなりの賞賛的受容にいくらかの批判的見解を交えておくという態度は、そうしようとしない限り持てないものだと思う。そういう意味で、批判する点を見つけ出す目…

隠す巧み

プライベートを聞かれたくない・明かしたくない人はいる。きっと、それを厭わない人がいるのと同じくらいに。自分が立ち入られたくない領域に他人が誤って入ってきそうになったとき、それをどうかわすかというのはその人の技量なのかもしれないが、相手に不…

書きたくないという感情

あとで読み返したときの備忘録的なものはやっぱ残しておかないとなぁ、と思って書く。 そういう風に思って書くときは、見事にそういう口ぶりが出ている。

いろんなことを部活・排球に転換して考えることが多くて、だいたいそれで話が片付くような気がするのは、いろんなことのおおまかな根流が同じだからだ、という指摘はあながち間違ってはいないか。結局動いているのは他でもない自分であるという、その指摘こ…

空気を読む力

自分が周りに気を使われてる、ということに気づくとき、何かが終わると思うのだが、そういうことに気付かないから、回りに気を使われるという、可能性はある。 大きな勘違いを自らのうちへ、正の方向に還元できるその心持はなかなかにすごい。

他者の精神衛生を優先する。

自分の意見を強硬に突き通そうとする人がいる。それがおそらく『その人にとっては』正しくて枉げられない意見なのだろうけれども、その人がそうやって意見を押し通してくれるおかげでその強硬性を干渉すべく腐心している立場の人がいることを忘れてほしくな…

迷愧

最近、現在を通る時間軸の中で今を捉えるという思考形態を採ることが多くて、その中で短期的視野と長期的視野のどちらが是なのかを討議する際に、いずれも同様の時間軸において存在するという矛盾に戸惑うことが多い。二次元で考えれば別であると言い張れる…

教養

教養教育は必要かという議論が不毛に思えて仕方ない性質なのだが、その原因を今日掴んだような気がした。おそらく、多くの大学生は、自分も含め、大学という場を教養教育を受ける場だというふうに認識していない、ただその一点に尽きるのではないか。〜〜が…

記憶を辿る

わからないことをわからなかったと覚えていると、時を経てわかったときに、わからなかった理由がわかって実に楽しい。 新しい関わり方を模索。

去年あれほど何もしなかったくせに。

時折訪れるその嫌悪感は、稀に絶頂を迎えた後、急速に発散する。

虚構

ホームページという虚構の中にはてなダイアリーという虚構があるという、『二重の虚構』の中に書いている為に、どこか安心して書けているのは、もはや似非安心感でしかないということに気付かないふりをする。集団は個人のたゆまぬ努力によって成り立つ、と…

何かをしない選択をする自由が認められると強硬に主張するなら、その裏で、何かをしたいという意思を持つ自由が蔑ろにされていることを決して忘れてはならない。いつも大人の対応をするのは、後者である。

胸に手を当てる

外枠で固められなければまとまらない時点でどこか終わってる。要は、積極性こそが集団を成り立たせるということは、究極の真理である。